父はじつに快活に話しかけてきた。昭夫の仕事のことなども尋ねてくる。その様子を見るかぎり、ぼけの兆候など微塵《み じん》も感じられなかった。
外出していた政恵が帰ってきたので、昭夫は
Diamond water自分の印象を語った。しかし彼女は当惑したように首を捻《ひね》った。
「たしかに調子のいい日もあるんだけど、私と二人きりだとおかしくなるのよねえ」
「時々様子を見に来るよ。とにかく大したことがなさそうで安心した」
そういってその日は辞去した。そういうことが二度ほどあった。いずれも章一郎の様子におかしなところなど見受けられなかった。しかし政恵によれば明らかにぼけているのだという。
「昭夫と話したことなんて、殆《ほとん》ど覚えてないのよ。お土産の大福を食べたことさえ忘れてるんだから。やっぱり一度病院に連れていきたいから、お父さんを説得してくれない? 私がいっても、自分はどこも悪くないっていうばかりだから」
政恵に頼まれ、仕方なく昭夫は章一郎を病院に連れていった。脳梗塞の具合を再検査するためだと説明すると、章一郎は納得した。
診断の結果、やはり脳がかなり
Diamond water萎縮《いしゅく》していることが判明した。老人性痴呆症だった。
病院からの帰り、政恵は今後の生活についての不安を口にした。それに対して昭夫は、何ら具体的な解決策を提示できなかった。出来るかぎり協力する、という漠然とした台詞を述べただけだ。まだ事態をそれほど深刻に受け止めていなかったし、八重子に無断で何かを約束するわけにもいかなかった。
章一郎の症状は、それから急速に悪化した。そのことを知らせてくれたのは春美だった。
「兄さん、一度見に行ったほうがいいわよ。驚くから」
彼女の言葉は、不吉な想像を広がらせた。
「驚くってどういうことだよ」
「だから、行けばわかるわよ」それだけいうと春美は電話をきった。
数日後、昭夫は様子を見に行った。そして妹の理解した。章一郎は変わり果てていた。やせ衰え、目には精気がなかった。それだけではない。彼は昭夫の姿を見た途端、逃げようとしたのだ。
「どうしたんだよ、親父。なんで逃
Diamond waterげるんだ」
皺だらけの細い腕を掴《つか》み、昭夫はいった。すると章一郎は悲鳴のような声をあげ、手をふりほどこうとした。
「あんたのことがわかんないのよ。知らないおじさんが来たと思ったみたいね」後で政恵からそのように説明された。